濃尾平野は水害に強いのか|名古屋104.5mmをデータ検証

都市・再開発

2026年9月8日の夕方、名古屋地方気象台(千種区)で1時間104.5mmという雨が降りました。1890年の統計開始以来、名古屋の観測史上1位です。それまでの1位は2000年9月11日の97.0mm、いわゆる東海豪雨でした。

それでも9日午前時点で確認できている人的被害は、愛知県内の軽傷4人。死者・行方不明者の報告はありません。庄内川には「レベル5 氾濫特別警報」が出ましたが、9日0時40分に解除されています。

この経過を見て「濃尾平野、特に尾張と美濃の平野部は、他の平野より水害に強いのでは?」と感じた人は多いと思います。ただ、感覚で結論を出すと危険な地域でもあるので、数字で検証してみます。

結論:「地形は日本一弱い、インフラは日本有数に強い」

データを並べると、濃尾平野は次の3点に整理できます。

  1. 地形的なハザードは日本の平野で最悪クラス。伊勢湾岸のゼロメートル地帯は336km²で、東京湾(116km²)と大阪湾(124km²)を合わせても及びません。
  2. 治水インフラへの投資額と効果は全国トップクラス。東海豪雨後の5年間だけで庄内川・新川に約720億円が投じられ、同規模の雨での浸水家屋想定は約18,100戸から約9,700戸へ半減しました。
  3. ただし今回の豪雨は「東海豪雨級を耐えた」証拠にはならない。時間雨量は上回りましたが、総雨量は東海豪雨の半分程度だからです。

つまり「水害に強い平野」ではなく「水害に極端に弱い平野を、金と時間をかけて強くしてきた地域」というのが実態に近いです。

検証①:今回の雨と東海豪雨を並べてみる

ここが一番重要なポイントです。今回破られたのは「1時間雨量」の記録だけで、日降水量は東海豪雨の約半分(219.5mm対428.0mm)にとどまっています。

都市水害では、この2つはまったく違う意味を持ちます。短時間の強い雨が壊すのは主に下水道とポンプ、つまり内水氾濫のリスクです。一方、長時間の総雨量が積み上がると河川の水位そのものが上がり、堤防が切れる外水氾濫のリスクになる。東海豪雨で新川の堤防が100mにわたって決壊し、氾濫面積が19km²に達したのは後者です。

したがって今回のデータから言えるのは、「濃尾平野は内水氾濫に対して明確に強くなった」までです。外水氾濫への強さは、まだ今回の雨では試されていません。

なお東海豪雨の被害は、死者10人、負傷者98〜115人、床上浸水は約2.3万〜2.7万棟、被害総額は約8,500億円とされています(数値は集計主体によって幅があります)。今回の浸水棟数と被害額は、この記事の時点ではまだ集計中です。

検証②:地形のハザードは、実は日本で最も高い

国土交通省が三大湾のゼロメートル地帯(朔望平均満潮位以下の土地)をまとめた資料を見ると、面積では伊勢湾が突出しています。愛知県全体では約37,000ha(370km²)が海抜0m以下で、これは都道府県で全国1位。2位の佐賀県(207km²)、3位の新潟県(183km²)、4位の東京都(124km²)を大きく引き離しています。

一方で人口は伊勢湾90万人に対し、東京湾176万人、大阪湾138万人。つまり伊勢湾は「広く薄く」、東京湾は「狭く濃く」危険を抱えている構図です。同じゼロメートル地帯でも、災害が起きたときの様相は変わってきます。

面積が突出する理由は地質構造にあります。濃尾平野は傾動地塊で、西縁の養老山地が隆起する一方、平野の基盤は西へ行くほど沈降しています。その結果、木曽川・長良川・揖斐川という3本の大河が平野の西側の低いところに集まってしまった。揖斐川の河床は木曽川より2〜3m低く、かつては木曽川の洪水が長良川へ、さらに揖斐川へと流れ込む状態でした。

この地形に対する住民側の答えが輪中です。集落と耕地を堤防で丸ごと囲う方式で、明治初期には濃尾平野南西部に80以上あり、現在も岐阜市から伊勢湾まで大小45が連なっています。輪中は洪水を防ぐ一方で、内側の排水を悪化させ、堤内地をさらに低湿地化させました。今でも木曽川と庄内川に挟まれた日光川水系は、ほぼ全域がポンプによる強制排水に依存しています。

そして1959年の伊勢湾台風。高潮で最前面の鍋田干拓地は全戸が流失し、死者率は42%に達しました。地形だけを見るなら、濃尾平野は「水害に強い」の対極にあります。

検証③:何を変えたのか(投資額と効果)

濃尾平野の治水は、宝暦治水(1753〜55年)と濃尾平野出身の学生なら必ず習うオランダ人、ヨハネス・デ・レーケによる明治の木曽三川分流工事(1887〜1912年)で骨格ができ、伊勢湾台風後の高潮堤整備で沿岸が固められました。ただし今回の結果に直接効いているのは、東海豪雨以降の20年強の投資です。

河川激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)では、庄内川に国が約400億円(河道掘削・築堤・堤防強化・洗堰改築)、新川に愛知県が約320億円(堤防強化・河床掘削・遊水池整備)を投じ、概ね5年間で完了させました。

効果として公表されている数字がこれです。庄内川の河道掘削で東海豪雨時の水位を約70cm、新川の河床掘削で破堤地点の水位を約100cm下げました。洗堰の1m嵩上げなども含め、庄内川から新川への最大越流量は毎秒270m³から毎秒70m³へ低減。同じ雨が降った場合の浸水家屋は約18,100戸から約9,700戸へ、被害額は約6,700億円から約1,200億円へ減ると想定されています。

名古屋市の緊急雨水整備事業も並行して進みました。雨水ポンプの排水能力は毎分約51,300m³から約64,700m³へ約1.3倍、雨水貯留施設の貯留量は約14万m³から約87.5万m³へ約6.3倍。下水道の対応降雨も重点地区で1時間50mmから60mmへ引き上げられています。

さらに令和元年度に改定された「名古屋市総合排水計画」では、1時間63mmで浸水被害をおおむね解消、1時間約100mmで床上浸水をおおむね解消という目標が掲げられました。この「1時間約100mm」は、東海豪雨の97mmを想定した数字です。今回降ったのが104.5mm。目標水準がそのまま実地で試された形になりました。

貯留量6.3倍という数字は、ちょうど今回のような「2時間に164.5mm」型の集中豪雨に対して効く投資です。結果が限定的な被害にとどまったことと、この投資の中身は整合しています。

検証④:尾張と美濃は、同じ強さではない

ここは建築・不動産の視点で見ると特に面白い論点です。濃尾平野を一枚岩として扱うと間違えます。

1609年、尾張藩は木曽川左岸に御囲堤を築きました。このとき、対岸である美濃側の堤防は御囲堤より3尺(約1m)低くすることが取り決められています。尾張を守るために美濃を犠牲にする構造が、江戸初期に制度として固定されたわけです。美濃側で加納輪中などが急速に築かれたのはこのためでした。

その後の宝暦治水、明治改修、戦後の河川整備でこの非対称は制度上は解消されていますが、地形として残った差は消えていません。現在のリスク分布は、おおむね次のように整理できます。

尾張東部の台地(千種・名東・守山、日進・長久手方面)は、熱田台地・尾張丘陵側で標高があり、浸水リスクは相対的に低い。ただし今回のような短時間強雨では中小河川の氾濫と道路冠水が起きます。

尾張西部の低地(あま市・津島市・大治町・弥富市、名古屋市西部)はゼロメートル地帯の中核で、ポンプが止まれば水が引きません。破堤時の浸水継続時間が長いのが特徴です。

美濃南西部(大垣市・海津市周辺)は輪中地帯そのもの。揖斐川・長良川の合流域で、上流域の総雨量に強く左右されます。

美濃東部(多治見・可児など)は、今回多治見でも1時間93.0mm・3時間164.5mmと観測史上1位を更新しました。ただし丘陵地の中小河川氾濫と土砂災害が主リスクで、ゼロメートル地帯とは災害の性格が違います。

結局「水害に強い」と言っていいのか

データから言える範囲で答えるとこうなります。

言えること。短時間強雨に伴う内水氾濫に対して、濃尾平野の都市部(特に名古屋市)は26年前より明確に強くなりました。ポンプ1.3倍・貯留6.3倍という投資が数字として効いています。

言えないこと。東海豪雨級の総雨量(2日で567mm)に耐えられるかは、今回の雨では検証されていません。激特事業の想定でも、同じ雨なら浸水家屋は「ゼロ」ではなく「約9,700戸」です。

むしろ弱いところ。高潮と大規模破堤に対しては、ゼロメートル地帯336km²・90万人という条件が変わっていない以上、構造的な脆弱性はそのまま残っています。

「水害に強い平野」という表現は、正確には「弱い地形に、他地域より多くの治水資本が積み上がっている平野」と言い換えるべきだと思います。強さの根拠が地形ではなく人工物にある以上、それはポンプの電源が生きていること、堤防が想定内であることを前提とした強さです。

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主な出典

気象庁「名古屋 観測史上1〜10位の値」「特定期間の観測史上1位の値 更新状況」
国土交通省「三大湾におけるゼロメートル地帯」(洪水・高潮氾濫からの大規模・広域避難検討ワーキンググループ資料)
国土交通省中部地方整備局 庄内川河川事務所「東海豪雨20年」
愛知県「新川流域 総合治水対策/流域の概要」
名古屋市上下水道局「東海豪雨や平成20年8月末豪雨等を受けての対策(緊急雨水整備事業)」「名古屋市総合排水計画」
防災科学技術研究所 自然災害情報室「濃尾平野 -日本で面積最大のゼロメートル地帯」
農林水産省東海農政局「木曽三川の水がはぐくむ濃尾平野」

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